瞬間瞬間に宇宙に向かって無条件にパーッと開く。音もなく飛び散りもせず ‘爆発’ するのが ‘芸術’ であり、生きることそのものが芸術であると説いた孤高の芸術家 岡本太郎
多くの人々、いつの時代の若者たちからも愛された1911年生まれの前衛美術家で、哲学・社会学・民俗学者でもあります。

私事としまして、昨年春にHPとブログを開設し1年が経ちました。この節目を振り返るのに相応しいのは ‘岡本太郎’ をおいて他にないと。岡本太郎は私にとって、若き頃から今なお無くてはならない存在であり、芸術のみならず生き方そのものの指針となる唯一無二の存在です。
漫画家 岡本一平を父に、歌人で小説家の岡本かの子を母に持つことはよく知られているところですが、18歳でパリに渡り、ピカソをはじめカンディンスキー、モンドリアン、エルンスト、マン・レイ、ジャコメッティ、アンリ・ミショ-・・・、バタイユなど現在美術の黎明期に錚錚たる芸術家や思想家らと日々を過ごしました。



渡仏から10年後、第二次世界大戦が始まる直前に日本に帰国し、太平洋戦争に従軍した後、前衛芸術家として抽象絵画や彫刻などのモニュメント制作、また多くの芸術論や社会学・民俗学に関する書籍を世に出しました。
美術はその時代ごとに潮流や主義がありますが、岡本太郎作品はそのいずれにも類することなく、常に独自の輝きを放っています。









初期のシュールで具象的な作品 ‘空間(1934)’ ‘コントルポアン(1935)’ ‘傷ましき腕(1936)’、戦後間もない頃に描かれた ‘電撃(1947)’ ‘夜明け(1948)’ ‘重工業(1949)’ ‘森の掟(1950)’など、深遠で危うげなオーラを発した作品には強く惹きつけられます。











今回を含め ‘人間 岡本太郎’ を3回にわたり紹介させていただきます。1回目は、若きパリ時代の作品などと合わせて初期から中期にかけての平面作品を挙げさせていただきます。






